きままブログ

病は気からは科学的なのかな

昔から「病は気から」といいますよね。そのような精神論と病気との因果関係はある程度あるだろうけど、科学的に考えれば決定的ではないよなあ、と思う人もいると思います。自分はそうでした。極端に言えば、根本にあるのは、治ると思えば病気は治るといった精神論ですね。これだと薬はいらないわけです。昔は日常会話でも「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんて言ったりしました。最近はだいぶ変わったと思いますが、何事も根性で乗り越えられるといった精神論が、スポーツでも仕事でも長い間優先されてきたのかなと思います。

日本は何かお手本、あるいは教えのようなものが出てきて、それがある程度人々に受け入れられると、そちらに一気に、とにかく一方的に突っ走る文化であるような気がしています。しばらくして行き過ぎに気がつくと、今度は一気に反対に振れ、それを繰り返すうちに振幅がだんだん小さくなって、結構時間が経ってから、収まるところに収まる(化学の研究者表の表現をすれば平衡に達するということですね)ことが多いような気がします。とにかく、雪崩現象というか、自分は取り残されたくないといった気持ちが強く働くのかもしれません。ここが日本人の強みであり欠点でもあるので、なんとも言えませんが、特にコロナのこの時代、私たちは注意深くなるべきですね。

この「病は気から」ですが、科学を大切にしている現代医学でもあたり前のことなんだ、と最近特に感じています。このところ、お医者さんに会う機会が以前より増え、その時に、お医者さんからあまり気にしない方が良いですよ、とよく言われるからです。精神状態が良ければ、脳から幸福ホルモンなど、健康によいホルモンが分泌されることはよく知られているので、当然、体に良い影響を与え、その逆は悪い影響を与えるので、気持ち次第で病気は良い方向に向かったり、悪くなったりするのは、まさに科学的と言えますね。しかしこれは思っているよりすごい効果があるのでは、と思い始めています。

数十年前の日本の体育会系は根性がとにかく重要でしたよね。それは今でもかなりそうなのだと思いますが、昔はとにかく極端で、その反省があり、ある時期、精神論が前よりはおさまったと思います。しかし、そうこうしているうちに、外国で精神論(メンタル面という意味で)の重要性に気がつき、メンタルトレーニングを重視して、強くなったりすると、今度は逆に日本が外国に学んでメンタルの強化を図るといった、逆輸入のような現象が起こってしまうわけです。

このような日本人が陥りやすい雪崩現象的な考えの振幅は、時に、大きな発見につながることもあり、そう悪いことばかりではないように思います。つまり、一方の極を知り、またその反対の極も徹底的に知ることができることで、本当のことが見えてくるということです。化学の研究でもそのようなことはよくあります。時々、極端に条件を変えてみると、未知の物質ができあがってしまったという流れです。

しょっちゅう大きく振れてばかりだと、無駄もあるのですが、全く異なる事象を経験することが何事にも大事なのだと思います。つまり多様性が重要で、少数派のちょっと変わった人の存在が、特に、サイエンスには必要なのだということになります。人から、そんなのできるわけないよ、と言われてしまうようなことを実現したら、大きな発見、発明となる訳ですね。ノーベル賞級の研究でもおなじみのセレンディピティーに出会うには、普通でない発想や観察力を持つ人の存在がキーですから、同様ですね。

このようなことを考えてみると、我々はそれまでの自分の経験に根ざした思い込みをベースに判断しているために、本当は何が起こっているか、わからなくなってしまうのだと思います。科学的な真実を見つけるにはその思い込みに影響されない、客観的な観察と、先入観のない発想、たまたまの非常識な考えが必要なんですね。しかしこれがむずかしいですね。どうやったら丁度良いときだけ経験を活かし、場合に応じて逆の選択ができるようになるのでしょうか。考えはまとまりませんが、化学の実験であれば、思いついたら、とにかくやってみるということでしょうか。